情けは人のためならず
本来は「人に情けをかけておけば、めぐりめぐって自分に返ってくる」という意味です。ところが「情けをかけるのは、その人のためにならない」と受け取る人も増えています。「ためならず」の「ならず」が打ち消しに見えるのが原因ですね。
よく知っているつもりの「ことわざ」でも、実は本来の意味とは違う使い方をしていた…なんてことがあります。もし正しい意味を知っていたら、大事な場面で恥をかかずにすみますし、言葉の奥深さを味わうこともできます。ここでは意味が変わってしまった「ことわざ」をはじめ、実は続きがあるもの、似ているようで意味が違うものを紹介しているので、ぜひご覧ください!
「ことわざ」は長い年月のあいだに、意味がすっかり変わってしまうことがあります。ここでは、本来の意味と今の使われ方が違うものを紹介しましょう。
本来は「人に情けをかけておけば、めぐりめぐって自分に返ってくる」という意味です。ところが「情けをかけるのは、その人のためにならない」と受け取る人も増えています。「ためならず」の「ならず」が打ち消しに見えるのが原因ですね。
本来は「その人の力量に対して、役目が軽すぎる」という意味です。謙遜のつもりで「私では役不足ですが」と言うと、まったく逆の意味になってしまいます。正しくは「力不足」ですね。
本来は「遠慮がいらない、気を使わなくていい」という良い意味です。「油断できない」と正反対に受け取られることがあります。
本来は「流れに乗って、ものごとが順調に進む」という意味です。「流れに逆らう」と誤解されることが多い言葉ですね。
文化庁の「国語に関する世論調査」でも、こうした言葉はたびたび取り上げられています。言葉は生き物ですから、使う人が多ければ、やがてそちらが本来の意味になっていくのかもしれません。
本来は「信頼していた人に裏切られる」という意味です。「敵からひどい目にあわされる」と誤解されがちですね。
本来は「不義理をしてしまって、その人の家に行きにくい」という意味です。お店などに関して「高級すぎて入りにくい」という意味で使われることが増えています。
本来は「心の奥の感動する部分に触れる」という良い意味です。「怒りを買う」という意味で使われることがありますが、これは「逆鱗(げきりん)に触れる」との混同ですね。
本来は「不安や恐れで、逃げ腰になる」という意味です。「うれしくて落ち着かない」と受け取られることが多くなりました。
よく知られている「ことわざ」のなかには、本当はもっと長い言葉だったものがあります。続きを知ると、印象がガラリと変わりますよ。
「良薬は口に苦し、されど病に利あり。忠言は耳に逆らう、されど行いに利あり」
中国の『孔子家語』にある言葉で、もとはこの形で対になっています。耳の痛い忠告こそ役に立つ、という後半まで知ると意味が深まりますね。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」
後半まで言うのが本来の形です。その場で聞くのは恥ずかしいけれど、聞かずに知らないままでいるほうがずっと恥ずかしい、という意味ですね。
「渡る世間に鬼はなし、人を見たら泥棒と思え」
正反対の意味の「ことわざ」が、対になって語られることがあります。世の中には優しい人もいれば、用心すべき場面もある…どちらも真実なんですね。
「知らぬが仏、見ぬが極楽」
対句として続けられる言い回しです。知らないほうが心穏やかでいられる、という意味になります。
「鬼も十八、番茶も出花」
どんな女性も年頃になれば美しく見える、という意味。粗末な番茶でも、淹れたては香りがよいことにたとえています。
「孝行のしたい時分に親はなし、石に布団は着せられず」
親孝行をしようと思ったときには、もう親はいない。墓石に布団をかけても遅い、という切ない言葉ですね。
もとは仏典の「三従」の教えの一部で、「幼いときは親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従う」と続く形で語られてきました。
「桃栗三年柿八年、柚子(ゆず)の大馬鹿十八年」
地域によって「梅はすいすい十三年」「梨のばか目が十八年」など、続きがさまざまにあります。実を結ぶまでには時間がかかる、という意味ですね。
「芸は身を助くるほどの不仕合わせ」
実はこちらが本来の形だとされています。芸で食べていかなければならないほど落ちぶれた、という自嘲の句だったんですね。今では純粋に「特技が役に立つ」という意味で使われています。
「ことわざ」のなかには、同じような場面を言っているのに、まるで反対の教えになっているものがあります。どちらが正しいのか迷ってしまいますよね。まずは、同じ場面について、まったく逆のことを言っている組み合わせを紹介しましょう。
前者は「人に親切にすれば、めぐりめぐって自分に返ってくる」、後者は「親切がかえって悪い結果を招く」。人への情けを、良しとするか戒めるかで分かれます。
前者は「去るときはきちんと片づけていけ」、後者は「あとのことなど知ったことではない」。去り際の心構えが正反対ですね。
前者は「同じことはまた繰り返される」、後者は「三度目こそはうまくいく」。どちらも三度目の話なのに、予想が逆になります。
前者は「焦らずに待っていればよい知らせが来る」、後者は「何もしなければ何も得られない」。待つべきか動くべきか、正反対の教えです。
前者は「人は環境に染まるもの」、後者は「汚れた場所にいても清らかさを保てる」。環境の影響を認めるか否かで分かれます。
前者は「好きだからこそ上達する」、後者は「好きなだけで一向に上達しない」。同じ「好き」でも結果が真逆ですね。
前者は「他人を見て自分を正せ」、後者は「他人は他人、自分は自分」。他人を物差しにするかどうかで分かれます。
前者は「連絡がないのは無事な証拠」、後者は「油断したころに不幸が訪れる」。音沙汰のなさを、安心と見るか不安と見るかですね。
前者は「追い詰められた弱い者が強い者に反撃する」、後者は「弱い者が身の程知らずに立ち向かっても無駄」。弱者の反撃を認めるか、無謀と見るかの違いです。
前者は「世の中には親切な人がいる」、後者は「まず疑ってかかれ」。対になって語られることの多い組み合わせです。
矛盾しているようでいて、状況によってはどちらも的を射ている組み合わせです。
やると決めたらすぐ動くべき場面もあれば、急ぐときほど確実な道を選ぶべき場面もあります。何を優先するかで使い分けましょう。
挑戦をすすめる言葉と、慎重さをすすめる言葉。得られるものと失うものを天秤にかけて選ぶことになりますね。
知恵を出し合う場面では人数が力になりますが、指示を出す人が多いと物事は進みません。集まる目的によって変わります。
余裕のある大きさが役立つこともあれば、大きすぎてかえって使えないこともあります。後者の「長持」とは衣類を入れる大きな箱のことです。
まだ手にしていないものをあてにするのは危ういですが、先回りして動くこと自体は有利に働きます。準備と皮算用の線引きですね。
体で覚えたほうが早いこともあれば、基礎を学ばないと先に進めないこともあります。何を身につけたいかによります。
先に動いた人が得をする場面もあれば、最後まで残ったものに思わぬ価値がある場面もあります。
黙っているほうが賢明な場面もありますが、言いたいことを我慢し続けると自分が苦しくなります。相手と状況次第ですね。