ことわざの歴史
普段の何気ない会話のなかにもたくさんの「ことわざ」が使われています。日本だけでなく、世界中に様々な「ことわざ」があるんですよ。
古くから使われていますが、その起源はいつ頃なのでしょう?
ここでは、そんな「ことわざ」の長い歴史をひも解いてみたいと思います。
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「ことわざ」の歴史:世界編
残念ながら世界全体で「ことわざ」が人々にいつ頃から使われているのか、詳しいことはわかりません。おそらく外国には日本で「ことわざ」が確認されるよりもずっと前からあったのでしょうけど、それはその国によってきっとバラバラなのだと思います。それから「ことわざ」のテーマによっても発祥時期が違うのかもしれません。たとえばイタリアの「ことわざ」は食べ物に関するものが多いとか、フランスには愛に関する「ことわざ」がたくさんあるとか・・・。ある時期になったらコレが人々に親しまれるようになってきたから…というふうに。また「ことわざ」には、その国の民族性のようなものがよくあらわれていますね。そのほか、世界には歴史上の偉人たちの名言なども数多く残されています。それらの名言については、「ことわざ雑学」のページで紹介するので、お楽しみに!
「ことわざ」の歴史:日本編
一方、日本では平安時代にはもう「ことわざ」があったという記録が残されています。平安時代初期に世俗諺文(せぞくげんもん)という「ことわざ辞典」が出版されました。その世俗諺文には「良薬は口に苦し」「千載一遇」など、今の「ことわざ辞典」にも載っているものがありました。私たちが知っている「ことわざ」の多くは庶民の生活のなかで生み出された教訓で、しかもそれは実体験がもとになっているものです。江戸時代の中頃になると日本にも中国の古典が伝わってきました。その中国古典と日本に以前からあった「ことわざ」が混ざり合い、狂歌(きょうか)と呼ばれる大衆文芸が誕生しました。今でいうと流行語のようなもので、狂歌師(放送作家やコピーライターのような人たち)によって作られます。で江戸時代の末、江戸や上方(今の大阪)の人々にとって狂歌は最大の娯楽だったとも言えるでしょう。現代まで伝わっている狂歌や狂言といった日本の伝統的な文化といわれるものは、古くから伝えられた「ことわざ」にアレンジを加えたものだとされています。今、さまざまな「ことわざ辞典」が出ていますが、その元祖とされるものは諺語大辞典(げんごだいじてん)といいます。これは明治時代に藤井乙男という人が書いたもので、日本初のことわざ専門の辞典なんですよ。
「ことわざ」のおおもとは中国から?!
「春眠、暁を覚えず」や「百聞は一見に如(し)かず」など中国で誕生した昔話が「ことわざ」として日本へと伝わってきました。ほかにも完璧や矛盾といった熟語も、もとはと言えば中国の古い話から生まれた言葉なんですよ。紀元前から何百年、何千年という長い歴史を持つ中国の古いしきたりや習慣を織り交ぜて作られたのです。これらの「ことわざ」のことを故事成語といいます。これについては「ことわざと文化」のページでもう少し詳しく説明しているので、そちらをご覧ください。ここでは、日本でも有名な画竜点睛について紹介しましょう。ちなみに、画竜点睛とは「文章を書いたり、話しをしたりするときに肝心な締めくくりとなる言葉を1つ2つ加えて全体を引き立たせること」「最後の大事な仕上げ」を意味します。
南北朝の梁(はり)の時代に張さんという画家がいました。ある日、張さんはお寺の壁に4匹の龍を描きました。その絵はとても上手で、まるで今にも動き出しそうなくらい本物そっくりに描かれていました。ところが、なぜか目だけがありません。絵を見た人たちはみんな不思議に思って「どうして目が入っていないのか?」と訪ねました。すると、彼は「もし、目を入れたら龍が飛んで逃げていってしまうから」と答えたのです。みんなが信じなかったので、「じゃあ、試しに2匹だけ目を入れてみよう」と言って彼は目を書き入れました。しばらくして突然、雷鳴と稲妻が鳴り響きました。その瞬間、お寺の壁に雷が落ち、壁が割れてしまいました。すると信じられないことに、目を入れた2匹の龍が本当に天高く飛んでいってしまったのです。ふと、張さんが壁のほうを見ると目の書かれていない2匹の龍の絵だけが残されていました。