ことわざ動物園

「ことわざ」にあまり出てこない動物たち

このサイトでは、犬や猫、馬や牛など、たくさんの動物の「ことわざ」を紹介しています。ところが、よく考えてみると「あの動物ってことわざにあまり出てこないかも」「あの動物のことわざって聞いたことがないな」というものもありますよね。どうして「ことわざ」になった動物と、ならなかった動物がいるのでしょう?ここでは、その理由を一緒に考えてみましょう。

「ことわざ」が生まれる三つの条件

たくさんの動物の「ことわざ」を集めてみると、あることに気づきます。登場する動物には、どうやら共通点があるようなのです。

一つ目は、身近にいること。毎日のように目にする動物でなければ、たとえ話に使っても相手に通じませんよね。二つ目は、特徴がはっきりしていること。「スローペース」「ずる賢い」「おとなしい」など、誰もが思い浮かべるイメージがあってこそ、短い言葉で意味が伝わります。そして三つ目は、長く接してきたこと。言葉が人々のあいだに定着するには、何百年という時間が必要なのです。

この三つがそろった動物だけが、「ことわざ」の世界に名前を残すことができました。では、条件を満たせなかった動物たちを見ていきましょう。

「ことわざ」にあまり出てこない動物たち

山羊(やぎ)

牛や馬と同じ家畜なのに、山羊の「ことわざ」はほとんど見当たりません。沖縄や一部の島では古くから大切に飼われてきましたが、全国的に広まることはなかったからですね。日本人の多くにとって、山羊は身近な動物ではなかったのです。一方、羊や山羊を飼う文化が根づいた西洋では「迷える子羊」「スケープゴート(贖罪の山羊)」など、たくさんの言葉が生まれています。

熊

日本の山には古くから熊が生息しています。それなのに「ことわざ」の数はごくわずか。「熊鷹、股裂く」といった言い回しはありますが、犬や猫とは比べものになりません。熊は人里で日常的に見かける動物ではなく、出会えば命にかかわる存在です。恐ろしすぎて、日々の暮らしのたとえには使いにくかったのかもしれませんね。

ラクダ・ライオン・象

これらの動物の「ことわざ」が少ないのは、理由がはっきりしています。日本にいなかったからです。「獅子身中の虫」や「衆盲、象を模す」のように、いくつかは「その他の動物のことわざ」のページで紹介していますが、そのすべてが中国やインド、西洋から伝わったものなのです。言葉としては知っていても、自分の目で見たことのない動物では、暮らしの実感からたとえを生み出すことはできません。

アヒル

鶏と同じように家で飼われてきた鳥ですが、「ことわざ」の数には大きな差があります。鶏には「夜明けを告げる」という特別な役目がありました。時計のなかった時代、鶏の声は人々の一日を始める合図だったのです。アヒルにはその役割がなかったぶん、語られる機会も少なかったのでしょう。

金魚・メダカ

江戸時代から親しまれてきた生き物ですが、やはり「ことわざ」はほとんどありません。これらは眺めて楽しむためのもので、働かせるわけでも、食べるわけでもありませんでした。暮らしを支える存在でなかった動物からは、教訓が生まれにくいのかもしれませんね。

意外と「ことわざ」が多い動物

ここまでとは反対に、「こんな生き物にも?」と驚くほど「ことわざ」が多い動物もいます。

虫

小さくて取るに足らない存在に見えますが、「一寸の虫にも五分の魂」「蓼食う虫も好き好き」「飛んで火に入る夏の虫」など、数えきれないほどあります。あまりに身近で、毎日目にしていたからこそでしょうね。小さいからこそ、弱さや儚さのたとえにぴったりだったのかもしれません。

龍(竜)

実在しない動物なのに、「画竜点睛」「竜頭蛇尾」「登竜門」と、たくさんの言葉が残されています。中国では龍が特別な存在として敬われてきたからですね。つまり「ことわざ」になるかどうかは、実在するかどうかより、人々の心の中で大きな存在だったかどうかで決まるということです。

鼠(ねずみ)

嫌われ者の代表のような動物ですが、「窮鼠猫を噛む」「大山鳴動して鼠一匹」「頭の黒い鼠」など、たくさんの「ことわざ」があります。食べ物を荒らす厄介者でありながら、それだけ毎日のように顔を合わせていたねずみ。嫌われるほど身近だった、というわけです。

世界では、その土地の動物が主役

日本で「ことわざ」にならなかった動物も、ところ変われば大活躍しています。どの国でも、やはり身近な動物が選ばれているんですね。

ラクダ(中東・北アフリカ)

砂漠で暮らす人々にとって、ラクダは移動手段であり、財産であり、命綱でもありました。だからこそ「ことわざ」もたくさんあります。「最後のわらがラクダの背をおる」は、ほんのわずかな負担でも積み重なれば限界を超えてしまう、という意味。日本でいう「一粒万倍」とは逆の、負担が積み上がっていく怖さをあらわした言葉ですね。ほかにも「ラクダは自分のこぶが見えない」という言い回しがあり、これは自分の欠点には気づかないという意味です。日本の「猿の尻笑い」とよく似ていますね。

象(インド・タイ)

象が身近にいる国では、象の「ことわざ」が豊富です。インドには「象を見るのに虫めがねはいらない」という言葉があり、はっきりしていることによけいな手間はいらない、という意味で使われます。タイでは「象の足跡の中に、他のすべての動物の足跡が入る」という言い回しがあり、大きなものは小さなものを包み込むという意味。日本の「大は小を兼ねる」に近い発想です。

トナカイ(北欧)

雪と氷の世界で生きる人々にとって、トナカイは移動と食料を支える大切な動物でした。北欧には、トナカイの群れや雪に関する言い回しが数多く残されています。日本に雪や米の「ことわざ」が多いのと同じことですね。たとえば、このようなものがあります。「トナカイの数を聞くのは、銀行の残高を聞くのと同じ」は、他人のトナカイの所有数を聞くのは無作法という意味。北欧の先住民にとって財産ともいえるトナカイの飼育数を他人に聞くのは、貯金額をストレートに聞くのと同じくらいとても失礼なことなのです。

こうして並べてみると、「ことわざ」の主役はいつでも「その土地で一緒に生きてきた動物」だと分かります。海外の「ことわざ」については、「ことわざ雑学」のページでもたくさん紹介していますので、あわせてご覧ください。

もし今、「ことわざ」を作るなら?

ここまで読んで、こんなことを思いませんでしたか?「今の時代に身近な動物なら、新しい『ことわざ』が作れるんじゃない?」と。

その通りなんです。「ことわざ」は大昔に誰かが決めたものではなく、暮らしのなかから自然に生まれてきたもの。だとすれば、今の私たちの暮らしからだって、新しい言葉が生まれてもおかしくありませんよね。

たとえば、こんなふうに考えてみましょう。

パンダ

のんびり笹を食べている姿が印象的ですが、実はクマの仲間で、本気を出せば力は相当なもの。「パンダの腕力」とでも言えば、見た目と中身のギャップをあらわす「ことわざ」になりそうです。既存の「張り子の虎」とはちょうど逆ですね。

ペンギン

陸ではよちよち歩きなのに、水に入ったとたん別人のように泳ぎます。「ペンギン、海に入る」とすれば、「水を得た魚」と同じような意味になるでしょうか。

ハムスター

回し車で一生懸命走っているのに、ちっとも前に進みません。忙しいばかりで成果が出ない様子を「ハムスターの回し車」と言ったら、きっと誰にでも通じますよね。

もちろん、これらは筆者が勝手に考えたもので、本物の「ことわざ」ではありません。ですが、何百年も前の人たちも、きっとこんなふうに身近な動物を眺めながら言葉を作っていったのでしょうね。みなさんなら、どんな動物でどんな「ことわざ」を作りますか?

「ことわざ」は暮らしの鏡

こうして見てくると、「ことわざ」に登場する動物の顔ぶれは、そのまま昔の人の暮らしを映した鏡だと分かります。

馬や牛が多いのは、田畑を耕し荷物を運ぶ働き手だったから。犬や猫が多いのは、家のそばにいて毎日顔を合わせていたから。そして山羊や熊が少ないのは、日々の暮らしのすぐそばにはいなかったから。どの動物が選ばれたかではなく、どの動物と一緒に生きてきたかが、そのまま言葉になって残ったのです。

「ことわざ」に出てくる動物を見るだけで、その国の人々がどんなふうに暮らしてきたのかが見えてくる…これも「ことわざ」の面白さではないでしょうか。いろいろな動物の「ことわざ」を、ぜひ「動物にまつわることわざ」のページでご覧くださいね。