紺屋(こうや)の白袴(しろばかま)
他人のことで忙しく、自分のことには手が回らないこと。
「紺屋」とは、布を藍で染める染物屋のことです。毎日たくさんの布を染めているのに、自分の袴は白いまま——他人の仕事ばかりで、自分の身なりには構っていられない、というわけですね。
大工、左官、紺屋、鍛冶屋——昔の町には、さまざまな職人が暮らしていました。その仕事場で使われていた言葉が、いつのまにか日常の「ことわざ」になっているものが少なくありません。ここでは、職人の手仕事から生まれた言葉を紹介していくことにしましょう。
まず面白いのが、同じ意味の「ことわざ」が、職業ごとにいくつもあることです。どれも「専門家なのに、自分のことはおろそかになる」という内容なんですよ。
他人のことで忙しく、自分のことには手が回らないこと。
「紺屋」とは、布を藍で染める染物屋のことです。毎日たくさんの布を染めているのに、自分の袴は白いまま——他人の仕事ばかりで、自分の身なりには構っていられない、というわけですね。
人には立派なことを説くのに、自分では実行していないこと。
患者には「体を大事に」と言う医者が、自分は不摂生をしている、ということに由来しています。
専門家なのに、自分のことはいいかげんになること。
人の家は立派に建てるのに、自分の家は掘っ立て小屋のまま、ということですね。「大工の我が家」という言い方もします。
他人の髪は美しく結うのに、自分の髪は乱れたままであること。
これも同じ発想ですね。江戸時代の髪結いは、町に欠かせない職業でした。
専門外のことは、うまくできないということ。
壁を塗るのが仕事の左官が、垣根を作ってもうまくいかない、ということに由来しています。前の四つとは少し違い、こちらは「畑違い」を指す言葉ですね。
同じ意味の「ことわざ」がこれだけあるというのは、それだけ多くの職人が身近にいた証拠でしょう。自分の町の職人を見て「あの人も人のことばかりだなあ」と、みんなが思っていたということですね。
※「大工の掘っ立て」「髪結(かみゆ)いの乱れ髪」「左官の垣根」については、地域や資料によって言い回しが異なるため、ご注意ください。
子どもがいることで、夫婦の仲がつなぎとめられるということ。
「かすがい」とは、二つの木材をつなぎとめるために打ち込む、コの字形の金具のことです。離れそうなものをつなぎ合わせる道具にたとえた、味わい深い言葉ですね。
いつまでも出世できない、ぱっとしないこと。
「うだつ」とは、隣家との境に立てる小さな防火壁のことです。費用がかかるため、裕福な家でなければ設けられませんでした。そこから「うだつが上がる」が成功の象徴となり、その逆が「うだつが上がらない」になったと言われています。
ただし、梁の上に立てる短い柱のことだとする説もあり、由来ははっきりしていません。
あとで問題にならないよう、念を押しておくこと。
日本の建築では、もともと木材を組み合わせるだけで釘を使いませんでした。江戸時代になって念のため釘を打つようになったことから、「念を押す」という意味になったと言われています。
細かいところまできちんとしていること。
「几帳」とは、平安時代の室内に立てた布の仕切りのこと。その柱の角を特殊な方法で削った仕上げを「几帳面」と言いました。手間のかかる丁寧な仕事ぶりから、今の意味になりました。
ほんのわずかな時間のこと。
「束」とは、指四本分の幅を指す、昔の長さの単位です。建築では短い柱を「束」と呼びます。ごく短いもののたとえですね。
刀にまつわる言葉ですので、「武士の時代に生まれたことわざ」のページで紹介しています。
相手の話に調子を合わせてうなずくこと。
刀鍛冶の仕事に由来しています。師匠が槌を打つのに合わせて、弟子が交互に槌を打つことを「相槌」と言いました。息を合わせて打たなければ、よい刀はできません。会話も同じですね。
歳をとったり腕が落ちたりして、能力が衰えること。
刃物を鍛えるとき、火を入れすぎると鋼がもろくなってしまいます。焼きが回りすぎた刃物は切れ味が落ちる——そこから、人の衰えを指すようになりました。
絶対に間違いないと、確実に保証すること。
「太鼓判」とは、太鼓のように大きな判子のこと。甲州の金貨の縁に押された、太鼓の皮留めのような模様に由来するという説もあります。大きな判をどんと押す——確かな保証という感じが伝わってきますね。
考え方や話に、一貫した理屈があること。
織物の縦糸が、まっすぐに通っていることに由来するという説があります。
物事を解決するための、手がかりを見つけること。
もつれた糸をほどくとき、まず糸の端を見つけなければ始まりませんよね。そこから、問題解決の最初の手がかりを指すようになりました。
その道のことは、やはり専門家に任せるのが一番だということ。
餅つきは誰にでもできそうですが、餅屋のついた餅にはかなわない——専門家の腕前を認める言葉ですね。職人の世界を、もっとも端的にあらわした「ことわざ」かもしれません。
やり方にはいろいろあるのだから、途中で口を出さず、結果を見てほしいということ。
職人が、作業中に素人から口を挟まれたときに言う言葉だったようです。「流々」とは流派がさまざまにある、という意味ですね。職人の誇りが伝わってきます。
何でもそこそこできるために、かえって一つのことで大成しないこと。
職人の世界では、一つの技を極めることが尊ばれました。あれこれ手を出す器用さは、必ずしもほめ言葉ではなかったんですね。
こうして並べてみると、あることに気づきます。
紺屋も、髪結いも、刀鍛冶も、今では日常で目にすることがほとんどありません。それでも「紺屋の白袴」「相槌を打つ」「焼きが回る」という言葉は、しっかり生き残っているんですね。
仕事は消えても、言葉は残ったというわけです。
しかも面白いのは、どの言葉(ことわざ)にも職人の目線が宿っていることです。「細工は流々仕上げを御覧じろ」には口を挟まれた悔しさが、「器用貧乏」には一つの道を究める厳しさが、それぞれ込められています。
昔の町には、こうした職人たちの声があふれていたのでしょうね。何気なく使っている一言の向こうに、汗を流して働く人の姿を想像してみると、言葉がまた違って見えてくるかもしれませんよ。