ことわざ動物園

ことわざになった実在の人物たち

「弘法にも筆の誤り」の弘法、「鳴かぬなら〜」の信長や秀吉。「ことわざ」のなかには、実在した人物の名前や逸話がそのまま残っているものがあるんですよ。ここでは、言葉になって今も生き続けている人たちを紹介していくことにしましょう。

日本の人物

まずは、日本の人物を見てみましょう。

弘法(こうぼう)にも筆の誤り

弘法大師・空海(774〜835年)

どんな名人でも失敗することがある、という意味ですね。「猿も木から落ちる」と同じ意味の「ことわざ」です。

弘法大師とは、真言宗を開いた空海のこと。書の達人としても知られ、嵯峨天皇、橘逸勢とともに「三筆」と呼ばれました。その空海ですら書き間違えることがある、というわけですね。

実際にこんな逸話が伝わっています。空海が宮中の門の額を書いたところ、「應天門」の「應」の字の点を一つ書き忘れてしまいました。すると空海は、下から筆を投げつけて点を書き足したというのです。失敗したものの、それを見事に挽回したという話ですから、やはりただ者ではありませんね。

ちなみに「弘法筆を選ばず」という言葉もあります。本当の名人は道具を選ばない、という意味です。

鳴かぬなら殺してしまえほととぎす

織田信長(1534〜1582年)

思いどおりにならないものは、切り捨ててしまえ——信長の激しい気性をあらわした句です。

続けて、豊臣秀吉は「鳴かぬなら鳴かせてみようほととぎす」、徳川家康は「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」。同じ状況に対する三者三様の対応が、それぞれの性格をよくあらわしていますよね。

ただし、この句は三人が自分で詠んだものではありません。江戸時代後期の大名・松浦静山が随筆の中で紹介したもので、作者は分かっていないんですよ。三人の人物像を、後世の人がうまく言い当てたということですね。

義経の八艘(はっそう)飛び

源義経(1159〜1189年)

身軽に跳び回ること、窮地を鮮やかに切り抜けることのたとえです。

壇ノ浦の戦いで、平教経に襲いかかられた義経が、次々に船から船へと飛び移って逃げたという『平家物語』の場面に由来しています。実際に八艘を跳んだかどうかはともかく、義経の身軽さを伝える名場面として語り継がれてきました。

判官(ほうがん)びいき

源義経(1159〜1189年)

弱い立場の人や、不遇な人に同情して味方すること。

「判官」とは義経の官職名です。兄・頼朝に追われて非業の最期を遂げた義経に、人々が同情を寄せたことから生まれた言葉なんですね。スポーツ観戦で、つい負けているほうを応援してしまう——あれも判官びいきです。

弁慶の立ち往生

武蔵坊弁慶(?〜1189年)

進むことも退くこともできず、動きがとれなくなること。

義経の忠臣・弁慶が、主君を守るため全身に矢を受けながら、立ったまま息絶えたという伝説に由来しています。「弁慶の泣き所」(向こうずね)という言葉も、強い弁慶でも痛がる場所、という意味で生まれました。

中国の人物

次は、中国の人物を見ていきます。

三顧(さんこ)の礼

劉備(161〜223年)と諸葛孔明(181〜234年)

目上の人が、礼儀を尽くして何度も頼み込むこと。

『三国志』の有名な場面に由来しています。劉備は、優れた軍師だと聞いた諸葛孔明を迎えるため、自ら三度もその草庵を訪ねました。当時すでに名の知れた武将が、二十歳も年下の若者のもとへ三度も足を運んだのですから、たいへんな熱意ですよね。この誠意に打たれた孔明は、ついに劉備に仕えることを決めたのでした。

孔明については「龍のことわざ」のページで紹介している「臥竜鳳雛」にも登場しますので、あわせてご覧ください。

背水(はいすい)の陣

韓信(?〜紀元前196年)

一歩も引けない状況に自らを置いて、全力で事に当たること。

漢の名将・韓信が、川を背にして陣を敷いたという故事に由来しています。逃げ場がないからこそ、兵士たちは死に物狂いで戦い、見事に勝利を収めました。普通なら愚策とされる布陣を、あえて選んだというわけですね。

四面楚歌(しめんそか)

項羽(紀元前232〜前202年)

まわりが敵ばかりで、味方が一人もいない状態のこと。

劉邦との戦いに敗れた項羽が、包囲された陣中で夜を過ごしていると、四方から故郷・楚の歌が聞こえてきました。「楚の兵まで、もう劉邦に降ったのか」——絶望した項羽は、愛する虞美人(ぐびじん)と最後の酒を酌み交わし、翌日戦場で命を落とします。敵が仕組んだ心理作戦だったとも言われていますね。

臥薪嘗胆(がしんしょうたん)

夫差(ふさ)と勾践(こうせん)

目的を果たすために、長いあいだ苦労に耐えること。

呉王・夫差は、父の仇を忘れないよう、毎晩薪(たきぎ)の上で寝て身を痛めつけました。これが「臥薪」。一方、夫差に敗れた越王・勾践は、苦い肝を舐めては屈辱を思い出しました。これが「嘗胆」。二人の執念が合わさって、一つの言葉になったんですね。

管鮑(かんぽう)の交わり

管仲と鮑叔牙(ほうしゅくが)

利害を超えた、きわめて親密な友情のこと。

春秋時代、管仲と鮑叔牙は若いころからの親友でした。やがて二人は敵味方に分かれますが、勝利した側の鮑叔牙は、自分の地位を譲ってまで管仲を推薦したのです。おかげで管仲は名宰相となりました。後に管仲は「私を生んだのは父母だが、私を理解してくれたのは鮑叔である」と語ったと伝えられています。

塞翁(さいおう)が馬

塞翁(北方の砦に住む老人)

人生の幸不幸は予測できないもの、という意味ですね。「人間万事塞翁が馬」の形で使われます。

老人の馬が逃げ出し、やがて立派な馬を連れて戻り、今度は息子が落馬して足を折り、そのおかげで戦争に行かずに済んだ——という話に由来しています。「塞翁」は特定の個人名ではなく「砦の老人」という意味ですので、実在の人物かどうかは分かりません。

西洋の人物

最後に、西洋の人物について見てみましょう。

コロンブスの卵

クリストファー・コロンブス(1451頃〜1506年)

誰でもできそうなことでも、最初に思いつくのは難しいということ。

新大陸発見の功績を「誰でもできたこと」と言われたコロンブスが、「では卵を立ててみてください」と皆に問いかけました。誰もできないでいると、コロンブスは卵の先を潰して立ててみせたのです。「そんなやり方なら誰でもできる」と言われた彼は、「しかし、最初にやったのは私だ」と答えたと伝えられています。

ただし、この逸話は後世の創作だとする説が有力です。

アキレス腱

アキレウス(ギリシャ神話の英雄)

唯一の弱点のこと。

実在の人物ではなく神話の英雄ですが、名前が言葉として定着した例としてご紹介しましょう。母親が幼いアキレウスを不死の川に浸したとき、つかんでいたかかとの部分だけが水に触れず、そこが弱点として残ったという話に由来しています。

名前が残るということ

こうして見てくると、不思議な気持ちになりませんか。

空海も、義経も、項羽も、生きていた時代はまるで違います。それなのに、千年以上たった今も、私たちは何気ない会話のなかで彼らの名前を口にしているのです。「弘法にも筆の誤り」と言うとき、私たちは千二百年前の書の名人を思い出しているわけですね。

しかも面白いのは、必ずしも成功者ばかりではないということです。項羽は敗れ、義経は追われ、弁慶は討たれました。それでも、いや、だからこそ、人々の心に残ったのかもしれません。判官びいきという言葉があるくらいですからね。

「ことわざ」は、昔の人の知恵を伝えるだけのものではありません。誰かの一生を、たった数文字に封じ込めた、小さな記念碑でもあるのでしょう。