画竜点睛(がりょうてんせい)
最後に大事な仕上げを加えて、全体を引き立たせること。
中国の画家が寺の壁に四匹の龍を描いたとき、目だけを描き入れませんでした。「目を入れたら飛んでいってしまう」と言うので、試しに二匹に目を描いたところ、本当に天へ昇っていったという話に由来しています。くわしくは「ことわざの歴史」のページをご覧ください。「画竜点睛を欠く」という形で、肝心なところが足りないという意味でもよく使われます。
最後のひと言が画竜点睛となって、スピーチが見事にまとまりました。
実在しない生き物の龍ですが「ことわざ」の世界では、龍は大変な人気者なんですよ。中国で特別な存在として敬われてきたため、故事成語がたくさん生まれました。ここでは、そんな龍にまつわる「ことわざ」を紹介していくことにしましょう。
最後に大事な仕上げを加えて、全体を引き立たせること。
中国の画家が寺の壁に四匹の龍を描いたとき、目だけを描き入れませんでした。「目を入れたら飛んでいってしまう」と言うので、試しに二匹に目を描いたところ、本当に天へ昇っていったという話に由来しています。くわしくは「ことわざの歴史」のページをご覧ください。「画竜点睛を欠く」という形で、肝心なところが足りないという意味でもよく使われます。
最後のひと言が画竜点睛となって、スピーチが見事にまとまりました。
そこを通れば立身出世できるという、難しい関門のこと。
中国の黄河にある「竜門」という急流を登りきった鯉は、龍になるという伝説に由来しています。端午の節句に鯉のぼりを立てるのも、この言い伝えにちなんでいるんですよ。
この伝説について、くわしくは「魚のことわざ」のページをご覧ください。
あの賞は若手作家の登竜門と言われています。
はじめは勢いが盛んなのに、終わりになるほど勢いがなくなってしまうこと。
頭は立派な龍なのに、尾のほうは蛇のように細く貧弱である、ということに由来しています。「その他の動物ことわざ」のページでも紹介しています。
大々的に始まった企画でしたが、竜頭蛇尾に終わってしまいました。
実力の伯仲した強い者同士が、激しく争うこと。
中国では龍と虎が、どちらも最強の存在とされてきました。その二つがぶつかり合う様子に由来しています。「虎のことわざ」のページでも紹介しています。
決勝戦は両校のエース対決で、まさに竜虎相搏つという展開でした。
目上の人を激しく怒らせてしまうこと。
中国の『韓非子』に由来しています。龍のあごの下には一枚だけ逆さに生えた鱗(うろこ)があり、そこに触れられると龍は激怒して、触れた者を殺してしまうと言われたことから生まれました。
うっかりした発言が部長の逆鱗に触れてしまいました。
きわめて危険なことをするたとえ。
恐ろしい龍のひげに手を触れるという、命がけの行いに由来しています。「虎の尾を踏む」と同じような意味の「ことわざ」ですね。
あの話題を持ち出すなんて、竜のひげを撫でるようなものですよ。
優れた君主のもとには、自然と優れた家来が集まるということ。
中国の『易経』に由来しています。龍が動けば雲が湧き、虎が走れば風が起こる、ということから生まれました。気の合う者同士は自然に引き寄せられる、という意味でも使われます。
彼のまわりには優秀な人が集まります。雲は竜に従い、風は虎に従う、ですね。
まだ世に出ていないけれど、すぐれた才能を秘めた人物のこと。
中国の『三国志』に由来しています。「臥竜」は寝ている龍、「鳳雛」は鳳凰(ほうおう)のひなのこと。諸葛孔明と龐統(ほうとう)という二人の人物を評した言葉として知られています。
あの新人は臥竜鳳雛、いずれ大きな仕事をするでしょう。
どんなに優れた人でも、時には失敗することがあるということ。
一日に千里を走るという名馬「竜馬」でも、つまずくことがある、ということに由来しています。「猿も木から落ちる」と同じような意味の「ことわざ」ですね。
あの名人がミスをするとは、竜馬の躓きというものでしょう。
立派なものを作ろうとして失敗し、かえってつまらないものになること。
龍を描いたつもりが、犬にしか見えないものになってしまった、ということに由来しています。「虎を描いて狗に類す」という形でも使われます。
凝りすぎて竜を描いて狗に類す、素直に作ればよかったですね。
高い地位に登りつめた者は、やがて衰えるときが来るということ。おごり高ぶることへの戒め。
中国の『易経』に由来しています。天高く昇りすぎた龍は、もう降りることができず、後悔することになる、ということから生まれました。
権力の座にいるときこそ慎むべきです。亢竜悔いあり、と言いますからね。
優れた人物が、力を発揮する機会を得ること。
龍は雲を得てはじめて天に昇ることができる、ということに由来しています。「水を得た魚」と似ていますが、こちらはより大きな飛躍をあらわします。
いい上司に出会って、彼はまさに竜の雲を得る如しです。
英雄が機会を得て、大きく活躍すること。
水中にひそむ蛟竜が、雲と雨を得てついに天へ昇る、ということに由来しています。『三国志』で劉備を評した言葉としても知られています。
独立してからの活躍ぶりは、蛟竜雲雨を得といったところですね。
ところで、このページでは「龍」と「竜」の二つの字が出てきますよね。どちらが正しいのか、気になった方もいるのではないでしょうか。
結論から言うと、どちらも同じ意味で、読み方も同じです。「竜」は「龍」の新字体(しんじたい)にあたります。戦後に漢字の整理が行われたとき、画数の多い「龍」に代わって、簡単な「竜」が常用漢字として採用されたのです。そのため、新聞や教科書では基本的に「竜」が使われます。「竜頭蛇尾」「画竜点睛」のように、「ことわざ」の表記も「竜」になっていることが多いですね。
「竜」という字は、もともと古代中国にあった字で、「龍」とは別々に生まれ、長いあいだ並んで使われてきたものなんですよ。つまり、どちらも由緒ある漢字というわけです。
今でも人名や会社名、神社やお寺の名前では「龍」が好んで使われます。やはり画数の多い「龍」のほうが、重々しくて神秘的な雰囲気がありますよね。ちなみに十二支の「辰(たつ)」も同じ生き物を指しますが、こちらは暦をあらわすための字で、動物そのものの名前として使われることはありません。このページでは、生き物としての存在感を大切にしたいので「龍」を主に使い、「ことわざ」として定着している表記は「竜」のままにしています。
龍は、もちろん実在する動物ではありません。けれど昔の人は、本当にいると信じていました。中国で生まれた龍の姿は、たいへん不思議なものです。らくだのような頭、鹿のような角、鬼のような目、牛のような耳、蛇のような首、鯉のような鱗(うろこ)、鷹のような爪…つまり、さまざまな動物のいいところを集めた姿だと言われているんですよ。鱗の数は81枚で、あごの下には逆さに生えた鱗が一枚あるとされます。これが「逆鱗」ですね。
龍は水をつかさどる神様として敬われてきました。雲を呼び、雨を降らせ、天へ昇る…農業にとって雨は命綱ですから、人々は龍に祈りを捧げたのです。日本各地にある「竜神様」を祀る神社や、雨乞いの行事も、この信仰から生まれました。
面白いのは、国によって龍のイメージがまったく違うことです。中国や日本の龍が、めでたく神聖な存在であるのに対し、西洋のドラゴンは退治されるべき怪物として描かれます。翼を持ち、火を吐き、宝を守っている…騎士が倒す相手というわけですね。同じ想像上の生き物なのに、東と西でこれほど扱いが違うのは不思議ですよね。ちなみに、恐竜の化石が龍の伝説を生んだのではないかという説も。真相は分かりませんが、昔の人が巨大な骨を見て想像をふくらませたと考えると、なんだかロマンがありますね。
龍が登場するお話は数えきれないほどありますが、ここでは滋賀県の琵琶湖に伝わる「俵藤太(たわらとうた)の百足(むかで)退治」を紹介することにしましょう。勇ましい武士と、困り果てた龍神のお話です。
昔々、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)、またの名を俵藤太という、勇ましい武士がいました。ある日のこと、藤太が琵琶湖にかかる瀬田の唐橋(せたのからはし)を渡ろうとすると、橋の上にとてつもなく大きな蛇が横たわっているではありませんか。胴の太さは丸太ほど、長さは橋いっぱいに届くという恐ろしさです。
通りかかった人々はみな悲鳴をあげて逃げ出しました。ところが藤太だけは違いました。眉ひとつ動かさず、大蛇の背中をずかずかと踏み越えて、平然と橋を渡っていったのです。
その夜のこと。藤太のもとに、美しい女性が訪ねてきました。「昼間、橋の上でお会いした者でございます」女性はそう言って頭を下げました。実はこの人こそ、琵琶湖に住む龍神だったのです。「私は龍神の一族でございます。幾日も橋の上で待っておりましたが、誰一人として恐れずに通る者はおりませんでした。あなた様だけが物おじなさらなかった。どうか、お力をお貸しいただきたいのです」
聞けば、三上山(みかみやま)という山に、山を七巻き半もするという大百足が住みついているというのです。その大百足が龍神の一族を次々に襲い、湖の暮らしはおびやかされるばかり。龍神の力では、どうしても勝つことができないのだと言います。
「よろしい、引き受けましょう」藤太は快く承知しました。そして弓と矢を手に、三上山へと向かったのです。
やがて山のほうから地鳴りが聞こえてきて、見れば、二つの松明(たいまつ)のような目を光らせ、山をぐるぐると巻いた大百足が、こちらへ向かってきます。藤太は矢を放ちましたが矢は、硬い甲羅にはじかれて落ちてしまいます。二の矢を放っても同じこと。残る矢は、あと一本きりとなりました。
そのとき藤太は、ふとあることを思い出しました。百足は人の唾を嫌う、という言い伝えです。藤太は最後の矢の先に唾をつけ、心を静めて弓を引きました。そして、大百足の眉間めがけて、力いっぱい矢を放ったのです。
矢は見事に突き刺さりました。大百足は断末魔の叫びをあげ、山を揺るがして倒れ伏したのでした。
龍神は涙を流して喜び、藤太を湖の底の龍宮へ招きました。そして、いくら食べても米の尽きない俵、いくら引き出しても絶えない絹の巻物、望むものが煮えてくる鍋など、数々の宝を贈ったといいます。藤太が「俵藤太」と呼ばれるようになったのは、このときの米俵に由来しているんですよ。
このお話に出てくる瀬田の唐橋も、三上山も、今も滋賀県に実際にあります。三上山は「近江富士」とも呼ばれる美しい山で、ふもとの神社には今も大百足の伝説が伝えられているんですよ。恐ろしい存在であるはずの龍が、人に助けを求めるというのが面白いところですよね。日本では龍は水をつかさどる神様ですから、湖や川にまつわる伝説が特に多いんです。みなさんの住む土地にも、龍にまつわる言い伝えが残っているかもしれませんね。