羊頭狗肉(ようとうくにく)
見かけは立派だけれど、中身がともなわないこと。
中国の古い書物に由来しています。店先に羊の頭を看板として掲げておきながら、実際に売っているのは犬の肉だった、ということから生まれました。「羊頭を懸けて狗肉を売る」という形でも使われます。
宣伝では一流と書いてありましたが、中身は羊頭狗肉でしたね。
おとなしくて、群れで行動する羊。日本ではあまり身近な動物ではないかもしれませんね。ところが「ことわざ」の世界では、羊は意外なほどたくさん登場するんですよ。その多くは中国から伝わった故事成語です。ここでは羊にまつわる「ことわざ」を紹介していくことにしましょう。
見かけは立派だけれど、中身がともなわないこと。
中国の古い書物に由来しています。店先に羊の頭を看板として掲げておきながら、実際に売っているのは犬の肉だった、ということから生まれました。「羊頭を懸けて狗肉を売る」という形でも使われます。
宣伝では一流と書いてありましたが、中身は羊頭狗肉でしたね。
方針や選択肢が多すぎて、どうしたらよいか分からなくなること。
中国の『列子』に由来しています。逃げた羊を追いかけたところ、道が何本にも枝分かれしていて、とうとう見失ってしまったという話から生まれました。
同じく中国の『列子』に由来しているものとして、亡羊の嘆(ぼうようのたん)が挙げられます。これは「学問の道があまりに広く、どこへ進むべきか迷って嘆くこと」という意味で、枝分かれした道の多さに羊を見失ったように、学問も道が多すぎて真理にたどり着けない、という嘆きをあらわした言葉です。
情報を集めすぎて多岐亡羊、かえって決められなくなりました。
専門書を開くたびに亡羊の嘆です。学ぶほど分からなくなります。
失敗したあとでも、すぐに手を打てば無駄にはならないということ。
中国の『戦国策』に由来しています。羊が逃げてしまってから囲いを修理しても、まだ遅くはない、ということですね。「亡羊補牢」とも言います。
気づいた時点で直しましょう。羊を亡いて牢を補う、と言いますから。
外見は立派でも、中身がそれにともなわないこと。
中国の古い書物に由来しています。虎の皮をかぶっていても、中身は臆病な羊のままだ、ということから生まれました。
肩書きだけ立派でも、羊質虎皮では意味がありません。
おとなしそうな外見をしているが、実は恐ろしい本性を隠している人のこと。
聖書に出てくる言葉に由来しています。羊の群れに紛れ込むために、狼が羊の皮をかぶるという話から生まれました。
優しそうに見えましたが、羊の皮をかぶった狼だったようです。
どうしたらよいか分からず、途方に暮れている人のこと。
こちらも聖書に由来しています。群れからはぐれた一匹の羊を、羊飼いが探し歩くという話から生まれました。
進路が決まらず、迷える子羊のような毎日です。
大きなものの代わりに、小さなもので間に合わせること。また、本質は変わらないごまかしのこと。
中国の『孟子』に由来しています。いけにえにされる牛をかわいそうに思った王が、代わりに羊を使わせたという話から生まれました。羊なら哀れではないのか、という問いかけが込められています。
予算が足りず、羊をもって牛に易うような代替案になりました。
弱い者を大勢集めても、強い相手には勝てないということ。
おとなしい羊の群れを追い立てて、猛々しい虎に向かわせても無駄だ、ということに由来しています。
人数だけそろえても、群羊を駆って猛虎を攻むようなものですよ。
曲がりくねった細い山道のこと。
羊の腸のように、くねくねと折れ曲がっている様子に由来しています。「羊腸たる山道」という使い方もします。
羊腸の小径を登りきると、ぱっと視界が開けました。
大きなものを扱うときほど、細やかな心配りが必要だということ。
小さく弱い羊を世話するときのような、こまやかな注意をもって牛にも接しなさい、ということに由来しています。
大きな案件ほど丁寧にいきましょう。牛を飼うに羊を飼う心をもってせよ、です。
羊はウシ科の動物で、牛と同じように胃が四つあり、反芻(はんすう)をして草を消化します。家畜としての歴史はとても古く、今から1万年ほど前の西アジアで、野生のムフロンという羊を飼いならしたのが始まりとされています。人類が最初に家畜にした動物の一つなんですね。毛、肉、乳、皮と、すべてが人の暮らしに役立つため、世界中へ広まっていきました。品種はなんと1000種を超えるとも言われます。毛を取るためのメリノー種、肉用のサフォーク種など、目的に合わせて改良が重ねられてきました。
羊といえば、やはり群れで行動する習性が特徴でしょう。一匹が動き出すと、ほかの羊もいっせいについていきます。これは外敵から身を守るための本能で、群れでいるほうが安全だからなんですね。「ことわざ」で羊が従順さや弱さのたとえに使われるのは、この性質によるところが大きいでしょう。ただ、羊は決して愚かな動物ではありません。人の顔を何十人分も記憶できることが研究で分かっていますし、目が横向きについているため、頭を動かさずにほぼ真後ろまで見渡せます。ちなみに羊の瞳孔は横長の長方形をしていて、独特の表情に見えるのもそのためです。日本では羊を飼う文化が長く根づかなかったため、羊の「ことわざ」のほとんどが中国や西洋から伝わったものになっています。
羊が登場するお話といえば、やはりイソップ童話でしょう。ここでは、世界中で知られている「嘘をつく羊飼い」、いわゆる「狼少年」のお話を紹介することにしましょう。
昔々、ある村の近くの牧場で、一人の少年が羊の番をしていました。毎日毎日、ただ羊を見ているだけの仕事は退屈でたまりません。ある日、少年はふと思いつきました。「みんなを驚かせてやろう」そして、大声で叫んだのです。「狼だ!狼が来たぞ!」
それを聞いた村人たちは、鍬(くわ)や棒を手に、大あわてで駆けつけてきました。ところが、どこを探しても狼の姿はありません。少年はその様子を見て、おなかをかかえて笑いました。「嘘だよ、嘘。引っかかったね!」村人たちは腹を立てて帰っていきました。
面白くなった少年は、しばらくするとまた同じ嘘をつきました。「狼だ!今度こそ本当だ!」村人たちはまた駆けつけ、またしてもだまされたと知って、ますます怒って帰っていきます。
そして、ある日のこと。今度は本当に狼が現れたのです。少年は必死で叫びました。「狼だ!助けて!本当に狼が来たんだ!」けれど、村から誰も来ません。みんな「またあの嘘だろう」と思い、誰一人として相手にしなかったのです。こうして羊たちは狼に食べられてしまい、少年はただ泣くことしかできませんでした。
嘘をつき続けていると、本当のことを言っても信じてもらえなくなる…そんな教訓が込められたお話ですね。日本にも「嘘つきは泥棒の始まり」という「ことわざ」がありますが、このお話はそれを物語の形で伝えてくれます。ちなみに、羊飼いの少年が主人公になっているのは、昔のギリシャで羊の放牧が子どもの仕事だったからなんですよ。一日中ひとりで羊を見ている退屈さが、この物語の出発点になっているというわけですね。