狐につままれる
何がなんだか分からず、ぽかんとしてしまうこと。
昔から狐は人を化かすと信じられており、不思議なことが起こると狐のしわざだとされたことに由来しています。「つまむ」は化かす、だますという意味の古い言い方です。
さっきまであったはずの書類が消えてしまい、狐につままれたような気分です。
人を化かす、ずる賢い…狐にはそんなイメージがありますよね。昔話にもたびたび登場する、おなじみの動物です。その一方で、稲荷(いなり)の神様の使いとしてあがめられてきた歴史もあるんですよ。ここでは、そんな不思議な魅力を持つ狐にまつわる「ことわざ」を紹介していくことにしましょう。
何がなんだか分からず、ぽかんとしてしまうこと。
昔から狐は人を化かすと信じられており、不思議なことが起こると狐のしわざだとされたことに由来しています。「つまむ」は化かす、だますという意味の古い言い方です。
さっきまであったはずの書類が消えてしまい、狐につままれたような気分です。
日が照っているのに雨が降る、いわゆる天気雨のこと。
晴れているのに雨が降るという不思議な現象を、狐が人をだましているのだろうと考えたことに由来しています。夜の山に提灯の明かりが点々と連なって見える現象を指すこともあり、こちらは狐の嫁入り行列だと言われていました。
洗濯物を干していたら狐の嫁入りで、あわてて取り込みました。
くわしくは「虎のことわざ」のページをご覧ください。
悪賢い者同士が、お互いにだまし合うこと。
人を化かすとされる狐と狸が、互いをだまそうとすることに由来しています。「狸のことわざ」のページでも紹介しています。
あの交渉は狐と狸の化かし合いで、見ているこちらが疲れました。
狐も狸も人を化かすのが得意だが、狸のほうが一枚上手であるということ。
狐は七つの姿に化けられるが、狸は八つに化けられる、ということに由来しています。化かし合いでは狸に軍配が上がる、というわけですね。
あの人のほうが役者が上でした。狐七化け、狸八化けと言いますからね。
子は親に似るものだということ。
狐の顔は口元から頬にかけて白くなっていて、生まれた子も同じ特徴を持つことに由来しています。「蛙のことわざ」のページで紹介している「蛙の子は蛙」と同じような意味の「ことわざ」です。
父も私も頑固者です。狐の子は頬白とは、よく言ったものですね。
一見関係がなさそうに見えても、実は同じ仲間であること。
同じ巣穴で暮らす狐のように、悪事をたくらむ者同士が仲間であることに由来しています。「同じ穴の狸」「同じ穴のむじな」と同じ意味で使われます。
告発していた人まで、調べてみれば一つ穴の狐でした。
言うことがころころ変わって、まったく当てにならない様子。
狐を馬に乗せると、ゆらゆら揺れて落ち着かないことに由来しています。話がぐらついて定まらない人のたとえです。
昨日と今日で話が逆です。狐を馬に乗せたようで、どれを信じていいのやら。
下手な相手ほど、何をするか分からないので怖いということ。
弓の名人の矢はねらいが読めるので避けられるが、下手な人の矢はどこへ飛ぶか分からず、かえって危ないということに由来しています。
経験のない人の判断ほど読めません。狐が下手の射る矢を恐る、ですね。
故郷を忘れない、恩を忘れないということ。
中国の『礼記』に由来しています。狐は死ぬとき、自分が生まれ育った丘のほうへ頭を向けると言われたことから生まれました。「首丘(しゅきゅう)の思い」とも言います。
晩年は郷里に戻りたいそうです。狐死して丘に首す、という心境でしょうか。
あれこれ疑って迷い、なかなか決断できないこと。
狐は疑り深く、凍った川を渡るときも氷の音を気にして行きつ戻りつする、と言われたことに由来しています。
いつまでも狐疑逡巡していては、好機を逃してしまいますよ。
本当に立派な者は、自分を偽らないということ。
神の使いとされる白い狐は、人を化かす必要がないので尻尾を隠さない、ということに由来しています。
彼は飾らない人です。白狐は尾を隠さず、というところでしょうか。
相手を軽く見ていると、思わぬ反撃を受けるということ。
ずる賢い狐を侮っていると、いつの間にかだまされてしまうことに由来しています。「狸のことわざ」のページで紹介している「狸が人に化かされる」と通じる言葉ですね。
格下だと油断した結果、見事にやられました。狐を馬鹿にすると狐に化かされる、です。
狐はイヌ科の動物で、日本では北海道にキタキツネ、本州から九州にかけてホンドギツネが暮らしています。細長い顔に大きな三角の耳、そしてふさふさとした尻尾が特徴ですね。この尻尾は体長の半分以上もあり、走るときのバランスを取ったり、眠るときに体に巻きつけて寒さをしのいだりするのに役立っています。食べ物はネズミや昆虫、木の実など幅広く、特にネズミを好んで食べます。農作物を荒らすネズミを退治してくれることから、昔の農村では狐はありがたい存在でもありました。
狐の狩りの様子は、見ていてとても面白いものです。雪の下にいるネズミの足音を聞き分け、高く跳び上がって雪に頭から突っ込みます。この狩りの成功率は、方角によって変わるという研究もあるほど。ずる賢いと言われるのも、こうした知恵のはたらきを人間が感じ取ったからかもしれませんね。また、狐は基本的に単独か家族単位で行動し、群れをつくりません。夜に活動することが多く、薄暗がりの中で目が光って見えることもあります。人里のそばに現れては、ふっと姿を消す…そんな神出鬼没な姿が、化かす動物という言い伝えを生んだのでしょう。
狐が登場する昔話は数えきれないほどありますが、なかでも日本人に広く親しまれているのが「ごんぎつね」でしょう。新美南吉が書いた児童文学で、小学校の教科書にも長く掲載されてきました。ここでは、そのあらすじを紹介することにしましょう。
昔、ある村の山に「ごん」という一匹の子狐が住んでいました。ひとりぼっちのごんは、いたずら好きで村人を困らせてばかり。ある日、兵十(ひょうじゅう)という若者が川で魚をとっているのを見つけ、ごんはそのうなぎや魚を逃がしてしまうといういたずらをしました。
それから十日ほどたったある日、ごんは兵十の家から葬式の列が出るのを見かけます。亡くなったのは兵十の母親でした。「兵十のおっかあは、死ぬ前にうなぎが食べたいと言ったのかもしれない。おれがうなぎを逃がしてしまったから、食べさせてやれなかったんだ」ごんはそう思い込み、ひどく後悔しました。
その日から、ごんはこっそり兵十の家へ通うようになります。拾った栗を置き、松茸を届け、黙ってそっと去っていきました。けれど兵十は、誰が置いていくのか知りません。神様のしわざだろうと思っていたのです。
ある日のこと。兵十はまた家に入ってくるごんの姿を見つけました。「またいたずらをしに来たな」兵十は火縄銃を取り、ごんを撃ってしまいます。そして土間に目をやると、そこには栗がきちんと置かれていました。「ごん、おまえだったのか。いつも栗をくれたのは」兵十がそう言うと、ごんはぐったりと目をつぶったまま、かすかにうなずいたのでした。
償いの気持ちが相手に伝わらないまま終わってしまう、何とも切ないお話ですね。狐というと人を化かす悪者として描かれることが多いなかで、このお話のごんはどこまでも優しい存在です。ちなみに、狐が神の使いとして祀られる稲荷信仰では、狐はまったく違う顔を見せます。全国に数万社あるといわれるお稲荷さんの境内に、必ず狐の像が置かれているのをご存知の方も多いでしょう。化かす動物でありながら、神の使いでもある…狐ほど多面的に語られてきた動物は、ほかにいないのかもしれませんね。