鶏鳴狗盗(けいめいくとう)
くだらない技でも、いざというときに役に立つことがあるということ。また、つまらない能力しか持たない人のたとえ。
中国の『史記』に由来しています。追われていた孟嘗君(もうしょうくん)が、鶏の鳴きまねが上手な者と、犬のように忍び込むのが得意な者のおかげで、無事に関所を抜け出せたという話から生まれました。
意外な特技が役に立ちました。鶏鳴狗盗と言いますが、侮れませんね。
コケコッコーと朝を告げる鶏。卵も肉も私たちの食卓に欠かせませんよね。古くから人のそばで飼われ、時を知らせる大切な役目を担ってきた鳥なんですよ。「鳥のことわざ」のページでは鶏にまつわるものを取り上げていないため、ここで別途、鶏にまつわる「ことわざ」を卵にまつわるものもあわせて紹介していくことにします。
くだらない技でも、いざというときに役に立つことがあるということ。また、つまらない能力しか持たない人のたとえ。
中国の『史記』に由来しています。追われていた孟嘗君(もうしょうくん)が、鶏の鳴きまねが上手な者と、犬のように忍び込むのが得意な者のおかげで、無事に関所を抜け出せたという話から生まれました。
意外な特技が役に立ちました。鶏鳴狗盗と言いますが、侮れませんね。
小さなことを処理するのに、大げさな手段を使う必要はないということ。
中国の『論語』に由来しています。小さな鶏をさばくのに、牛を切るための大きな包丁はいらない、ということですね。「牛刀をもって鶏を割く」とも言います。
この程度の作業に専門家を呼ぶのは、鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いんというものでしょう。
平凡な人たちの中に、一人だけ際立って優れた人がいること。
中国の古い書物に由来しています。鶏の群れの中に、一羽だけ鶴が混じっているという様子から生まれました。「掃き溜めに鶴」と似ていますが、こちらは場所ではなく、まわりの人と比べての言葉ですね。
新人の中でも彼女は鶏群の一鶴、すぐに頭角をあらわしました。
大して役には立たないけれど、捨ててしまうのは惜しいもののこと。
中国の『三国志』に由来しています。鶏のあばら骨は食べるところがほとんどないけれど、捨てるには惜しい、ということから生まれました。
この資料は鶏肋ですね。使い道はないけれど、処分するには惜しい。
小さな悪事を見過ごしていると、やがて大きな悪事につながるということ。
鶏のような小さなものを盗む者は、いずれ牛のような大きなものにも手を出す、ということに由来しています。
小さな不正こそ正すべきです。鶏を盗む者は牛も盗む、と言いますから。
にせの鳴き声。転じて、人をだますためのごまかしのこと。
鶏鳴狗盗の故事で、鶏の鳴きまねをして関所をあざむいたことに由来しています。
もっともらしい説明でしたが、鶏の空音でしたね。
自分が大切に育てたものは、情が移って手にかけられないということ。
毎日世話をした鶏は家族同然になり、食べる気になれないということに由来しています。
畑の野菜も愛着が湧いてしまって。鶏を飼うて鶏を食わず、ですね。
闘志をむき出しにして、鋭くにらみつける目つきのこと。
闘鶏で戦う鶏が、相手をにらみつける激しい目つきに由来しています。
決勝戦に臨む選手は、闘鶏の眼で相手を見据えていました。
まだまだ未熟で、理想の境地には達していないということ。
中国の『荘子』に由来しています。訓練を重ねた闘鶏が、まるで木彫りの鶏のように動じなくなり、相手の鶏が逃げ出すほどの風格を備えた、という話から生まれました。横綱・双葉山が連勝記録の途絶えたときに「我、未だ木鶏たり得ず」と打電した逸話で知られています。
優勝しましたが、まだ木鶏たり得ず。精進を続けます。
まだ確実でないことを当てにして、計画を立ててはいけないということ。
卵がかえる前からひなの数を数えても仕方がない、ということに由来しています。英語圏の「ことわざ」で、「ことわざ雑学」のページでも紹介しています。日本の「捕らぬ狸の皮算用」と同じ意味ですね。
契約前から祝賀会の相談とは、卵をかえす前に鶏を数えるな、ですよ。
物忘れがひどいことのたとえ。
鶏は記憶力が乏しいと言われてきたことに由来しています。ただし近年の研究では、鶏にも相応の記憶力があることが分かっています。俗説から生まれた言い回しですね。
さっき聞いたのにもう忘れました。鶏は三歩歩けば忘れる、です。
詳しくは、「牛のことわざ」のページをご覧ください。
色が白く、整った顔立ちの美人のこと。
つるりとした白い卵に、目と鼻をつけたような顔立ち、ということに由来しています。
お母さまは卵に目鼻というような、品のある方でした。
気が早すぎて、順序を踏まないこと。
中国の『荘子』に由来しています。「時夜」とは、夜明けを告げる鶏の鳴き声のこと。まだ卵の段階なのに、もう鳴き声を期待するという気の早さをあらわしています。
まだ企画書もできていないのに売上の話とは、卵を見て時夜を求む、ですね。
いつ崩れてもおかしくない、きわめて不安定で危険な状態のこと。
中国の『史記』に由来しています。卵を高く積み上げたような、ちょっとしたことで崩れてしまう状態をあらわしています。
あの会社の経営は累卵の危うきにあると言われています。
鶏はキジ科の鳥で、今から数千年前に東南アジアの野生種セキショクヤケイを家畜化したものとされています。世界で飼われている数はおよそ200億羽を超えます。地球上で最も数の多い鳥であり、鳥類全体のなかでも圧倒的な存在です。品種改良が重ねられ、卵をとるための白色レグホン、肉用のブロイラー、日本の天然記念物である尾長鶏(おながどり)や軍鶏(しゃも)など、さまざまな種類がいます。鶏はほとんど飛べませんが、これは人に飼われるなかで飛ぶ必要がなくなったためで、短い距離なら羽ばたいて移動することもできるんですよ。
鶏といえば、やはり朝に鳴くことでしょう。あれは実は、明るくなったから鳴いているわけではないんです。鶏は体内時計を持っていて、夜明けの少し前から鳴きはじめます。暗い部屋に閉じ込めておいても、ちゃんと同じ時刻に鳴くことが研究で確かめられています。昔の人が鶏を「時を告げる神聖な鳥」と考えたのも、うなずける話ですね。また、群れの中には明確な順位があり、これを英語では「つつきの順位」と呼びます。上位の鶏が下位の鶏をつつくことで秩序が保たれるのです。卵については、雌鶏はおよそ一日に一個のペースで産みます。雄鶏がいなくても卵は産まれますが、その卵からひなは生まれません。私たちが普段食べている卵は、こちらのほうなんですね。
鶏は日本の神話にも登場します。ここでは、日本で最も有名な神話の一つ「天岩戸(あまのいわと)」のお話を紹介することにしましょう。鶏が、たいへん重要な役目を果たすお話なんですよ。
昔々、高天原(たかまがはら)という神々の住む世界に、天照大神(あまてらすおおみかみ)という太陽の神様がいました。ところが弟の須佐之男命(すさのおのみこと)があまりに乱暴をはたらくので、天照大神は怒り、そして深く悲しみました。そしてとうとう、岩でできた洞窟に閉じこもり、入り口を大きな岩でふさいでしまったのです。
太陽の神様が隠れてしまったのですから、世界はたちまち真っ暗になりました。昼も夜もない闇が続き、作物は育たず、災いが次々に起こります。困り果てた神々は集まって相談しました。「どうすれば、天照大神に出てきていただけるだろうか」
そこで一人の神様が、こんな案を出しました。「常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)を集めて、いっせいに鳴かせてみてはどうか」長鳴鳥とは、鶏のことです。鶏が鳴けば夜明けが来る…つまり、朝が来たと思わせようというわけですね。
神々は岩戸の前にたくさんの鶏を集め、鳴かせました。コケコッコー、コケコッコー。さらに、岩戸の前では天鈿女命(あめのうずめのみこと)が踊り、神々はどっと笑い声をあげます。岩戸の中の天照大神は不思議に思いました。「私が隠れて真っ暗なはずなのに、どうしてみんな楽しそうなのだろう」
そっと岩戸を開けて外をのぞいた、その瞬間。力自慢の神様が岩戸をぐっと引き開け、天照大神を外へお連れしたのです。こうして世界には再び光が戻り、人々は喜びに沸きました。
この神話から、鶏は「闇を払い、光を呼ぶ鳥」として神聖視されるようになりました。神社にある鳥居も、もとは鶏が止まる木だったという説があります。伊勢神宮をはじめ、今でも境内で鶏を放し飼いにしている神社がありますが、それはこの神話にちなんでいるんですね。毎朝なにげなく聞こえてくる鶏の声にも、こんな壮大な物語が隠されていたというわけです。