餅は餅屋
その道のことは、やはり専門家に任せるのが一番だということ。
餅つきは誰にでもできそうですが、餅屋のついた餅にはかなわない——専門家の腕前を認める言葉ですね。
「花より団子」「餅は餅屋」「腐っても鯛」。食べることは、いつの時代も人の暮らしの中心にありました。だからこそ、食べ物が出てくる「ことわざ」はとても多いんですよ。ここでは、そんな「ことわざ」や言葉を集めてみました。動物のページで紹介してきた、食べ物の登場する「ことわざ」もあわせてご覧ください。

その道のことは、やはり専門家に任せるのが一番だということ。
餅つきは誰にでもできそうですが、餅屋のついた餅にはかなわない——専門家の腕前を認める言葉ですね。
思いがけない幸運が舞い込むこと。
棚の下で寝ていたら、ぼた餅が落ちてきて口に入った、という話に由来しています。「棚ぼた」と略して使われることも多いですね。
見た目は立派でも、実際には役に立たないもののこと。
絵の餅は、どんなにおいしそうに描かれていても食べられません。計画だけ立派で実現しないことのたとえですね。
風流より実利を取ること。見た目より中身を重んじること。
花見に行っても、花を眺めるより団子を食べるほうがいい——そんな庶民の感覚に由来しています。和歌の世界が花を詠むなら、「ことわざ」は団子を選ぶ、というわけですね。
容量を超えたことはできない、分相応にせよということ。
一升(約1.8リットル)の徳利には、それ以上は入らないという、当たり前の話からきています。
このあたりは「魚のことわざ」のページでも詳しく紹介していますので、あわせてご覧ください。
本当に優れたものは、多少悪くなっても価値を失わないということ。
鯛は魚の中でも特に高級とされ、少し傷んでもほかの魚より値打ちがあるとされたことに由来しています。
わずかな元手で、大きな利益を得ること。
安価な海老を餌にして、高級な鯛を釣り上げることに由来しています。
大きな組織の末端にいるより、小さくてもその長になるほうがよいということ。
高級な鯛でも尾の部分より、安い鰯でも頭のほうがよい、ということですね。
問題が起きたら、その場しのぎではなく根本から解決すべきということ。
魚を取られないように猫を追い払うより、まず魚を置かないほうがいい、というわけですね。
何事も、実を結ぶまでには時間がかかるということ。
桃と栗は三年、柿は八年で実をつけることに由来しています。地域によって「柚子の大馬鹿十八年」「梅はすいすい十三年」など、さまざまな続きがあるんですよ。
体が小さくても、才能や気性がすぐれていて侮れないということ。
山椒の実は小さいのに、強い辛みを持つことに由来しています。
平凡な親から、優れた子は生まれないということ。
瓜のつるには瓜しかならない、ということですね。「蛙の子は蛙」と同じような意味の「ことわざ」です。
元気をなくして、しょんぼりしている様子。
青菜に塩をふると、しんなりしおれてしまうことに由来しています。
人の好みはさまざまで、他人には理解できないこともあるということ。
蓼という植物は非常に辛く苦い草ですが、それを好んで食べる虫もいることに由来しています。
柿が実る季節は気候がよく、病人が減るということ。
秋の過ごしやすさを、医者の商売あがったりという形で表現した言葉ですね。
どうにも手に負えない、扱いにくい相手のこと。
どんな調理法を使っても食べられない——それほど厄介だということですね。
よく効く薬は苦いもの。ためになる忠告は、聞くのがつらいということ。
中国の『孔子家語』に由来しています。「良薬は口に苦し、されど病に利あり。忠言は耳に逆らう、されど行いに利あり」と続くのが本来の形ですね。
信頼していた人に裏切られること。
熱湯を水だと思って飲んでしまう——信じていたからこその裏切り、というわけですね。「敵からひどい目にあう」という意味だと誤解されやすい言葉です。
自分で面倒を見て、大切に育てること。
昔は食膳に塩を添えて出し、各自が好みの味に調えていました。その塩を「手塩」と言ったんですね。
演技の下手な役者のこと。
大根は消化がよく「当たらない」ことから、芝居が当たらない役者を指したという説があります。諸説ありますが、食べ物が語源という点では面白い例ですね。
動物のページで紹介してきた「ことわざ」にも、食べ物が登場するものがたくさんあります。並べてみましょう。
願ってもない好都合が重なること。
鴨鍋にはネギが欠かせません。カモが自分でネギを背負ってきてくれたら、こんなに都合のいいことはありませんよね。
どんなごちそうも、一人で食べてはおいしく感じないということ。
高級な鯛でさえ、一人きりの食卓では味気ない、ということですね。
大きな組織の末端にいるより、小さくてもその長になるほうがよいということ。
「鶏口」は鶏のくちばし、「牛後」は牛のおしり。食材としての部位になぞらえた言葉ですね。
こうして並べてみると、食べ物が出てくる「ことわざ」の多さに驚かされます。では、なぜこれほど多いのでしょう?
理由は単純で、食べることが暮らしの中心だったからです。
今のように食べ物が豊富にある時代とは違い、昔は一日三度の食事を確保することが、暮らしそのものでした。米が実るかどうかで一年が決まり、魚が獲れるかどうかで村の暮らしが左右される。食べ物は、誰にとっても最大の関心事だったんですね。
だからこそ、たとえとして使えば、すぐに通じました。「腐っても鯛」と言えば、鯛がどれほど上等な魚かは誰もが知っています。「花より団子」と言えば、団子のありがたさが身にしみて分かる。説明のいらないたとえだったわけです。
これは、動物の「ことわざ」が多い理由とまったく同じですね。身近であればあるほど、言葉になりやすい。くわしくは「ことわざの起源」のページでも説明していますので、あわせてご覧ください。
面白いのは、「ことわざ」に出てくる食べ物を見ると、その時代に何が大切にされていたかが分かるということです。
餅と米の「ことわざ」が多いのは、それが主食だったから。鯛が高級品の代表なのは、祝いの席に欠かせない魚だったから。鰯が安物の代表なのは、庶民が日常的に食べていたから。
逆に、今では当たり前の食べ物——パンやカレー、ラーメンの「ことわざ」はありませんよね。「ことわざ」が生まれた時代には、まだ存在しなかったからです。
言葉は、その時代の食卓をそのまま映しているというわけですね。「ことわざ」をたどることは、昔の人が何を食べ、何をごちそうだと思っていたかをたどることでもあるのです。