木を見て森を見ず
細かい部分にとらわれて、全体を見失ってしまうこと。
一本一本の木ばかり見ていると、森がどんな形をしているか分からなくなる、ということですね。西洋の「ことわざ」を訳したものとされています。
このサイトでは、たくさんの動物の「ことわざ」を紹介してきました。けれど昔の人のそばにいたのは、動物だけではありません。木も、花も、草も、毎日目にするものでしたよね。ここでは植物が登場する「ことわざ」を集めてみました。動物とはひと味違う、落ち着いた言葉が並びますよ。

細かい部分にとらわれて、全体を見失ってしまうこと。
一本一本の木ばかり見ていると、森がどんな形をしているか分からなくなる、ということですね。西洋の「ことわざ」を訳したものとされています。
頼るなら、力のある人や大きな組織を選ぶほうがよいということ。
雨宿りをするなら、小さな木より大きな木の下がいい、ということに由来しています。処世術を説いた、少し現実的な言葉ですね。
地位の高い人や目立つ人ほど、人から非難を受けやすいということ。
大きな木ほど風をまともに受けて折れてしまう、ということですね。「寄らば大樹の陰」と並べると、大きいことの長所と短所が見えてきて面白いですよ。
柔らかくしなやかなものは、かたいものより強いということ。
柳の枝は雪が積もってもしなって落とすので、折れることがありません。堅い枝ほど、重みに耐えきれず折れてしまうんですね。
「柳に風」も同じ発想の言葉です。逆らわずに受け流すことの強さを説いています。
つまらないものでも、ないよりはあったほうがましだということ。
枯れた木でも、山にあれば景色のうちに入る、ということですね。
ただし注意が必要な言葉で、人に対して使うと失礼になります。自分がへりくだって「枯れ木も山のにぎわいですから」と言うのは問題ありませんが、他人を指して言うと「いないよりまし」という意味になってしまいますからね。
役に立たないものは、どうやっても使いものにならないということ。
腐った木を柱にしても、建物は支えられません。なかなか厳しい言葉ですね。
他人のものは、何でもよく見えてしまうということ。
自分の庭の花より、隣の庭の花のほうが赤く見える、ということですね。「隣の芝生は青い」も同じ意味で、こちらは西洋から来た言い方です。
口に出さないほうが、かえって味わいがあるということ。
何もかも言葉にしてしまうと、趣がなくなってしまう——そんな美意識をあらわした言葉ですね。日本らしい感覚だと思いませんか。
花のなかでは桜が、人のなかでは武士がもっとも優れているということ。
ぱっと咲いて、ぱっと散る。その潔さを武士の生き方に重ねたわけですね。江戸時代によく使われた言葉です。
食べ物の「ことわざ」としても有名ですね。「食べ物や料理から生まれたことわざ」のページで紹介しています。
悪いことは、小さなうちに取り除いてしまえということ。
雑草は芽のうちに抜いておけば簡単ですが、大きくなってからでは手に負えません。「蟻の穴から堤も崩れる」と通じる考え方ですね。
何もしなければ、何も得られないということ。
種を蒔かなければ、芽は出ません。当たり前のことですが、だからこそ説得力がありますよね。
「果報は寝て待て」とは正反対の言葉です。どちらも正しいというのが、「ことわざ」の面白いところですね。
優れた人は、幼いころから並外れたところがあるということ。
栴檀という香木は、芽を出したばかりの双葉のころから、すでによい香りを放つと言われています。「蛇は寸にして人を呑む」と同じような意味ですね。
何事も、実を結ぶまでには時間がかかるということ。
桃と栗は三年、柿は八年で実をつけることに由来しています。地域によって「柚子の大馬鹿十八年」など、さまざまな続きがあります。
平凡な親から、優れた子は生まれないということ。
瓜のつるには瓜しかならない、ということですね。「蛙の子は蛙」と同じ意味の「ことわざ」です。
優れた人ほど、謙虚になるということ。
稲は実が詰まるほど、穂先が重くなって下がります。中身のない稲穂ほど、まっすぐ立っているんですね。
米づくりとともに生きてきた国ならではの「ことわざ」です。
ここからは少し趣向を変えましょう。「ことわざ」ではありませんが、植物に由来する言葉もたくさんあるんですよ。
遠くから眺めるばかりで、手の届かないもののこと。
高い山の上に咲く花は、美しくても摘むことができません。あこがれの気持ちと、あきらめの気持ちが同時に込められた言葉ですね。
実を結ばない花。転じて、見かけばかりで中身のないこと。
咲いても実にならない花のことですね。「一時のあだ花に終わる」といった使い方をします。
体ばかり大きくて、役に立たない人のこと。
独活は大きく育ちますが、茎が柔らかくて木材には使えません。見かけ倒しのたとえですね。
性質の違うものを無理につなぎ合わせて、ちぐはぐになること。
木に竹をつないでも、うまく育つはずがありませんよね。話の前後がつながらないときにも使われます。
何の根拠もないこと。
根も葉もない植物は、どこにも生えようがありません。まったく事実にもとづかない、という意味ですね。「根も葉もないうわさ」という形でよく使われます。
いつまでも恨みを忘れないこと。
根が地中に深く張って残るように、気持ちが心の底に残り続けることに由来しています。
あらゆる場所を、くまなく探し回ること。
草を一本一本かき分けて探す——それほど徹底的に、ということですね。
美しい女性の立ち居振る舞いをたとえた言葉。
芍薬は茎がすっと立ち、牡丹は横に広がって咲き、百合は風に揺れる——それぞれの花の姿を、人の所作に重ねています。教訓があるわけではありませんので、「ことわざ」というより慣用的な言い回しですね。
さて、ここで面白いのは動物の「ことわざ」と植物の「ことわざ」では、言っていることの傾向が違うことです。
動物の「ことわざ」は、性格や行動のたとえが多いですよね。狐はずる賢く、犬は忠実で、猫は気まぐれ。馬は速く、牛はのんびり。
ところが、植物は違います。「桃栗三年柿八年」「栴檀は双葉より芳し」「蒔かぬ種は生えぬ」——成長や時間の話が中心なんですね。
理由は明らかでしょう。植物は動きません。だから「どう振る舞うか」ではなく、「どう育つか」で例えるしかないのです。
もう一つ、大きな違いがあります。
動物は、人と向き合う相手でした。だまされたり、助けられたり、働いてもらったり。関係のなかで語られることが多いんですね。
一方、植物は人が育てるものでした。種を蒔き、水をやり、実るのを待つ。その経験が、そのまま言葉になっています。
だからこそ、植物の「ことわざ」には待つことの大切さを説くものが多いのでしょう。焦らず続けよ、という教えですね。
さらに面白いのは、植物の「ことわざ」が子育ての話とよく重なることです。
「栴檀は双葉より芳し」「瓜のつるに茄子はならぬ」「二葉のうちに摘み取る」。どれも、人を育てる場面で使われますよね。
種を蒔いて育てるという経験は、子を育てる経験と重なるものがあったのでしょう。動物の「ことわざ」にも「蛙の子は蛙」「狐の子は頬白」がありますが、こちらは「似る」という話。育てる過程を語るのは、やはり植物なんですね。
動物の「ことわざ」が教えてくれるのは、人との向き合い方でした。
では、植物の「ことわざ」は何を教えてくれるのでしょう?
それはおそらく、自分との向き合い方ではないでしょうか。種を蒔かなければ芽は出ない。実るには時間がかかる。実が詰まれば頭が下がる。柳のようにしなやかであれば折れない——どれも、自分の生き方についての言葉ですよね。
動かない植物を見ながら、昔の人は自分のことを考えていたのかもしれません。
このサイトの主役は動物ですが、たまには植物の「ことわざ」にも目を向けてみてください。静かで、落ち着いた言葉が並んでいますよ。