ことわざ動物園

ことわざ動物園の昔話めぐり

このサイトでは、それぞれの動物のページに昔話を一つずつ添えてきました。日本のものもあれば、中国やモンゴル、韓国、アフリカの物語まで。並べてみると、ずいぶん国際色豊かなんですよ。ここでは、サイト内に散らばっている昔話をまとめて振り返ってみることにしましょう。気になるお話があれば、ぜひそのページをのぞいてみてくださいね。

ことわざ動物園の昔話めぐり

日本に伝わる昔話

分福茶釜(ぶんぶくちゃがま)── 狸のページ

群馬県の館林市に伝わるお話です。罠にかかった狸を助けた男のもとへ、その夜、狸が恩返しにやってきます。「自分が茶釜に化けるから、それを売ってくれ」というわけですね。

ところが売られた先で火にかけられ、熱さに耐えきれず半分もとの姿に戻ってしまう——そこからが、このお話の面白いところです。

悪者として描かれることの多い狸ですが、この物語では恩返しをする側なんですよ。

狸のことわざ

猿婿入り(さるむこいり)── 猿のページ

畑仕事を手伝う代わりに娘を嫁にくれ、と言った猿。承知した末娘が、里帰りの道中で猿をこらしめるという物語です。

「猿蟹合戦」と同じく、猿がひどい目にあうお話ですね。昔の人が猿に対してどんな印象を持っていたかが、よくあらわれています。地域によって内容が異なるのも面白いところですよ。

猿のことわざ

鳥のみじいさん ── 鳥のページ

日本昔話百選にも選ばれているお話です。お餅を小鳥にあげたおじいさんが、最後には小鳥をお腹の中に入れてしまう——そのおかしな展開が魅力ですね。

お腹の中から歌声が聞こえてくるというのですから、なんとも愉快な物語です。小鳥の歌う「チチンピヨドリ」という囃子も、耳に残りますよ。

鳥のことわざ

牛方と山姥(うしかたとやまんば)── 牛のページ

干し魚を運ぶ牛方が、恐ろしい山姥に追われる物語です。魚を一匹ずつ奪われ、ついには牛まで食べられてしまう——なかなか容赦のない展開ですね。

けれどこの乱暴さにこそ、昔の山道がどれほど危険な場所だったかが表れています。そして牛を失うことが、働く人にとってどれほどの痛手だったかも。

牛のことわざ

天岩戸(あまのいわと)── 鶏のページ

日本神話のなかでも、特に有名な物語ですね。天照大神が岩戸に隠れて世界が闇に包まれたとき、神々は鶏を集めて鳴かせました。

夜明けを告げる声で、朝が来たと思わせよう——という作戦だったわけです。鶏が「闇を払い、光を呼ぶ鳥」として神聖視されるようになったのは、この神話があるからなんですよ。

鶏のことわざ

ごんぎつね ── 狐のページ

新美南吉の児童文学で、小学校の教科書に長く掲載されてきました。いたずら好きの子狐ごんが、自分のしたことを悔いて兵十に償いを続ける——けれど、その気持ちは最後まで伝わりません。

「ごん、おまえだったのか」。あの一行の切なさは、読んだ人の心に長く残りますよね。人を化かす悪者として描かれがちな狐のなかで、ごんはどこまでも優しい存在です。

狐のことわざ

俵藤太の百足退治 ── 龍のページ

滋賀県の琵琶湖に伝わる伝説です。勇ましい武士・俵藤太が、龍神に頼まれて三上山の大百足を退治するというお話ですね。

面白いのは、恐ろしいはずの龍が、人に助けを求めるという構図です。西洋のドラゴンが退治される側なのに対し、日本の龍は水をつかさどる神様ですから、こういう関係もありうるわけですね。

瀬田の唐橋も三上山も、今も実際にある場所ですよ。

龍のことわざ

鶴の恩返し/浦島太郎 ── 鶴と亀のページ

どちらも、助けられた動物が恩を返すところから始まる物語です。

鶴の恩返しでは、娘が自分の羽を抜いて布を織ります。浦島太郎では、亀が竜宮城へ案内してくれます。そして、どちらも約束を破ってしまうところまで同じなんですね。のぞいてはいけない、開けてはいけない——そう言われるほど確かめたくなるのが、人の心というものでしょうか。

鶴と亀のことわざ

十二支のはじまり ── 猫のページ

なぜ十二支に猫がいないのか。その理由が明らかになる物語ですね。

ネズミが猫に嘘の日付を教え、自分は牛の背に乗って一番乗りを果たす。だまされた猫は神様に「顔を洗って出直してこい」と言われてしまう——猫が顔を洗うのも、ネズミを追いかけるのも、この物語に由来しているというわけです。

猫のことわざ

海外から伝わった物語

スーホの白い馬 ── 馬のページ(モンゴル)

日本の小学校の教科書にも載っている、モンゴルの民話です。羊飼いの少年スーホが育てた白い馬が、王様に奪われ、傷つき、命を落とす。そして夢に現れて「私の骨と毛で楽器を作って」と告げる——

こうして生まれたのが、モンゴルの民族楽器・馬頭琴だと伝えられています。読んだあと、しばらく胸に残るお話ですよね。

馬のことわざ

虎と干し柿 ── 虎のページ(韓国)

泣き止まない子どもに母親が「干し柿よ」と言ったとたん、子が静かになった。それを聞いていた虎が「干し柿とは、よほど恐ろしいものに違いない」とおびえてしまう——という愉快なお話です。

韓国や朝鮮半島には、虎が登場する昔話がたくさん語り継がれているんですよ。それだけ虎が身近で、恐ろしい存在だったということですね。

虎のことわざ

キレイになりたかったカエル ── 蛙のページ(タンザニア)

アフリカに伝わるお話です。孔雀のように美しくなりたいカエルが、話を最後まで聞かずに熱い油へ飛び込んでしまう。結果、体中にイボができて、前より醜い姿に——

「人の話は最後まで聞きましょう」という教訓が、これ以上ないほど鮮やかに伝わってきますね。

蛙のことわざ

鯉の滝登り(登竜門)── 魚のページ(中国)

黄河の急流「竜門」を登りきった鯉は、龍になれるという言い伝えです。何度弾き返されても挑み続けた一匹の鯉が、ついに登りきって龍となる——

難しい関門を突破することを「登竜門」と言うのは、この物語からですね。端午の節句に鯉のぼりを立てる風習も、ここに由来しています。

魚のことわざ

蛍雪の功 ── 虫のページ(中国)

貧しくて灯火の油が買えなかった二人の若者。一人は蛍の光を集め、一人は雪明かりを頼りに、本を読んで勉強しました。やがて二人とも立派な役人になったという物語です。

卒業式で歌われる「蛍の光」の「蛍の光、窓の雪」という歌い出しは、まさにこの故事をふまえたものなんですよ。

虫のことわざ

嘘をつく羊飼い(狼少年)── 羊のページ(ギリシャ)

イソップ童話の一編ですね。退屈しのぎに「狼が来た」と嘘をついた少年。三度目に本当の狼が現れたとき、もう誰も信じてくれませんでした。

羊飼いの少年が主人公なのは、昔のギリシャで羊の放牧が子どもの仕事だったからなんですよ。

羊のことわざ

三匹の子豚 ── 豚と狼のページ(イギリス)

わらの家、木の枝の家、れんがの家。こつこつ手間をかけた末っ子だけが、狼から身を守ることができたという物語です。

実はこのお話、結末にいくつもの形があるんですよ。兄さん豚たちが食べられてしまうもの、三匹そろって助かるもの、狼が逃げていくだけのもの。みなさんが子どものころに聞いたのは、どれだったでしょうか。

豚と狼のことわざ

ノアの箱舟と犬のお話 ── 犬のページ

ノアの箱舟に乗っていた犬が、船底に開いた穴に鼻を突っ込んで船を救った——だから犬の鼻は濡れている、というお話です。

聖書の物語をもとにした、西洋由来の言い伝えですね。犬の忠誠心がよくあらわれています。

犬のことわざ

昔話の不思議な共通点

こうして一覧にしてみると、物語同士に不思議な共通点があることに気づきます。

恩返しの物語が多い

分福茶釜、鶴の恩返し、浦島太郎、ごんぎつね。どれも「助けられた動物が恩を返す」という形ですね。

日本の昔話に、この型がとても多いのは偶然ではないでしょう。動物が人に報いるという発想の裏には、人と動物が対等に近い関係だったという感覚があるのかもしれません。動物にも心があり、義理もある——そう考えていたからこそ、こうした物語が生まれたのでしょうね。

悲しい結末も多い

ところが、恩返しの物語はたいてい切ない終わり方をします。鶴は姿を見られて去り、ごんは撃たれ、浦島太郎は老人になってしまう。

約束を破ってしまうという点も共通していますよね。のぞくな、開けるな、言うな。人はそれを守れない——そうした人間観が、物語の底に流れているようです。

動物がこらしめられる物語も

一方で、猿婿入りや牛方と山姥のように、動物や妖怪がこらしめられるお話もあります。

こちらは、畑を荒らす動物や、山道の危険といった、現実の脅威が反映されているのでしょう。

世界中に、似た物語がある

国が違っても、物語の型はよく似ています。

「三匹の子豚」の、こつこつ努力した者が報われるという筋。「狼少年」の、嘘をつき続けた者が信用を失うという教訓。日本の「ことわざ」にも「嘘つきは泥棒の始まり」という言葉がありますよね。

人間が暮らしのなかで学ぶことは、どこの国でもそう変わらないということでしょう。

物語が、言葉を運んできた

最後に、一つお伝えしておきたいことがあります。

これらの昔話のなかには、そのまま「ことわざ」になったものがあるんですよ。

「鯉の滝登り」からは「登竜門」が。「蛍雪の功」はそれ自体が故事成語ですね。「狼少年」の教訓は「嘘つきは泥棒の始まり」と重なります。

物語は、ただ面白いだけのものではありませんでした。教訓を記憶に残すための器でもあったのです。長い話のほうが覚えやすい、ということもありますからね。やがてその話が短く凝縮されて、「ことわざ」という形になった——そう考えると、物語と「ことわざ」は親子のようなものかもしれません。

「ことわざ」がどのように生まれてきたかについては「ことわざの起源」のページで詳しく紹介していますので、あわせてご覧くださいね。

気になる昔話があったら、ぜひそのページを見てみてください。全文を読んでいただけますよ。